こんにちは、nonbiri_shufuです♪
中学受験に向けて勉強を頑張っている我が子。先日「確かに」と思う事を呟いていました。
「なんで学校は運動で頑張った人を発表するのに勉強で頑張った人を発表しないのだろう」と。
確かに我が子の小学校ではマラソン大会の上位10名くらいまでを閉会式で発表していました。
そう考えると我が子の言う事は実に真っ当なことですよねw
足が遅い子には運動会の徒競走は公開処刑
私は足が遅いので、学生時代の徒競走は大嫌いでしたw
しかも徒競走てタイム順に並ばされるので、並んでいる列によって「この集団は足が遅いです」と周囲に告知しているようなもの(悲)
生徒だけならまだしも沢山の保護者が観ている中で苦手な徒競走に参加させられるのは私にとって「公開処刑」に値する辛さでした。
でも私は別に現代のように「全員が一列になって手をつないで同時にゴール」するような徒競走が良いと思っているわけではありません。
生きている限り、どこへいっても「競争」・「他人との比較」はついてまわります。社会に出る準備として、学生時代に「競争」を体験しておくことは大事だと思っています。人生には適度なストレスは必要だとも思います。
私も徒競走は苦手でも、運動会自体は好きでした!応援合戦など、「クラスが一つになっていく」感が感じられる競技は好きだったな~。
だから徒競走はやっても良いのです。実際に普段クラスで目立たないタイプでも徒競走やリレーで活躍してスポットライトを浴び、自信がつく子だっているでしょう。
小学校生活には「運動」ができる子が活躍できる場面はあるのに、「勉強」ができる子が活躍できる場面が無い。これが不公平だと私は思うのです。
人を評価するものさしは沢山あって良い
私が小学4年生の頃、国語の授業の漢字テストで「トーナメント制」を取り入れていた先生がいました。
隣の席の子と点数で対決して、点数が上だった方が上位に行けるという制度。
私は国語の文章題はすごく苦手だったのですが(行間を読むのが苦手)、漢字だけはなぜか得意で、この先生が取り入れてくれたトーナメント制では大活躍できました。
この先生、他のクラスの生徒からの評判はあまり良くなかったのですが、私は何気に好きでしたねw自分の得意なところを褒めて、認めてくれたから。
数分前に言われたことだってすぐ忘れる私だけど、何十年も前に先生に褒められた言葉ってずっと覚えているもんなんですよね。
それくらい子供時代に大人から掛けられた言葉って、子供のその後の人生に影響与えるものですよ。
文章題は苦手でも、運動神経悪くてドンくさくても、「漢字なら〇〇(←私の名前)」とみんなの前で堂々と褒めてくれたこと。
そんな小さな成功体験だって私の自己肯定感を上げる要素になったのです。だから人を評価する「ものさし」の種類は多ければ多いほど良いと思います(^^)
<まとめ>
最近は「多様性」という言葉が広まってきて、昔と比べたらだいぶお互いの違いを認め合う社会になってきたけれど、日本の学校に関してはまだ昔と比べて進化が見られないような気がします。。。
文部科学省の学習指導要領とかがあるから先生もあまり自由に指導できないんですかね??これからの未来を担う子供たちがそれぞれ輝ける場所を、我々大人が作っていく義務があるのではないでしょうか?
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