早いもので我が子たちも小学生。
親の送り迎えや弁当作りが必要だった幼稚園時代に比べればだいぶ楽になりましたが、小学生ママも思ったほど楽じゃないな、という印象です。
まだまだ子供だけで家に留守番させるのは不安なので子供が学校に行っている間に外での用事は全て終えなければならないのに(近所への買い物くらいは行っちゃいますが)、小学校って意外と早帰りの日が多い!
勉強へのフォローも必要だし(優秀なお子様をお持ちの親御さんは必要ないであろう。汗)習い事への送迎も必要。
段々難しくなってくる精神面に対してのフォローも必要。
「少し手は離れたけれどまだまだ全て子供任せというわけにもいかない」という中途半端で意外と大変な時期ですが、それでも乳幼児時代に比べれば少し子育ても一段落、という感じでしょうか。
今までは家事に育児に忙しかったのであまり深く考えませんでしたが、一段落してみるとつくづく巷に溢れる「3歳までは〇〇」という説が全く根拠の無いものだったな、と思います。
まだまだ現役で育児真っ只中の私ですが、10年育児をしてみてあてにならなかった都市伝説?を綴ってみようと思います。
科学的根拠があるのか全く不明ですが、なぜか昔から日本で言われている「3歳児神話」というのがコレ。
保育園に子供を預けて仕事復帰をしようとするお母さんを苦しめる一言ですな。
東京だと共働きが当たり前なので、小学校には保育園出身の子もいれば幼稚園出身の子もいたり、様々です。
我が子は公立の小学校に通っているので、学校には色んなタイプの子がいます。
先生が声をかけなくても自分で考えて行動できる子もいれば、注意しても一回では言うことを聞けないちょっとヤンチャな子も...。
けれど私が知っている限りお母さんの職業と子供の性格には全く相関性が無いと思います。
確かに幼少期に子供が大人から無条件に愛されて大事にされる記憶はとっても大事だと思います。
それが自己肯定感につながっていくと思います。
<あわせて読みたい>
子供の未来の幸せのために親ができること。自己肯定感を高める育児をしよう!
けれどその愛情をかける大人が「100%母親」である必要は無いと私は思います。
母親以外にもお父さん、祖父母、保育園の先生方、地域の人など全て合わせて100%の愛で子供を包み込んであげれば良いのではないでしょうか。
逆に私の母は専業主婦でしたが、正直娘の私の方が「お母さんも働けばいいのに」と思っていました(^^;
専業主婦の母は時間に余裕があるためか、子供に干渉し過ぎるところがあったんですよね。
思春期の頃に母親への苦手意識が付いてしまったために未だに母のことが苦手です。
そんなときに「母と娘」の関係を書いたこの本を読んで、意外と実母との距離感に悩む女性が多いことに気づいてホッとしました。
<あわせて読みたい>
啼かない鳥は空に溺れる 唯川 恵
政治家の小泉進次郎さんも、お父様が忙しくても時間を作ってキャッチボールをしてくれたことをよく覚えていると言っていました。
親子の時間で大事なのは単純に時間だけではなく、適度な距離と密度なのかもしれませんね(^^)/
どのような意図があってこの発言が生まれたのか謎です。
「この子供の可愛らしさは今しかないのだから今を大事にせよ」という意味なのでしょうか?
そんなこと言ったら5歳だろうが10歳だろうが、いくつになろうが「今」は1回きりだと思うのですが...。
もちろん赤ちゃん時代のムチムチした体やプクプクしたほっぺを触ったり、眺めたりする時間は最高に幸せでした。
ですが小学生になって子供自身が自分の考えや意思を言葉で表現できるようになった今、親子でのお出かけが一層楽しくなりました。
乳幼児時代は親なりに子供が喜ぶと思って連れ出したのに、子供は大して喜ばず、むしろ「飽きた」「疲れた」と騒がれただけだった、という経験けっこうありましたから(^_^;)
子供と一緒に勉強して新しい知識を得たり、忘れていた知識を呼び戻すのも楽しいです。
もちろん、乳幼児時代には無かった「反抗期」が始まりつつある今、子供の「ああ言えばこう言う」の切り替えしにイライラすることも増えましたが、今には今の子育ての楽しさがあります。
我が子の育児に直接携わってもいない人に「3歳までに一生分の親孝行をする」と言われるのは余計なお世話。
まるで「貴重な時間なんだから100%育児に専念しろ」と価値観を押し付けられている気分で私は嫌いな言葉です。
親の送り迎えや弁当作りが必要だった幼稚園時代に比べればだいぶ楽になりましたが、小学生ママも思ったほど楽じゃないな、という印象です。
まだまだ子供だけで家に留守番させるのは不安なので子供が学校に行っている間に外での用事は全て終えなければならないのに(近所への買い物くらいは行っちゃいますが)、小学校って意外と早帰りの日が多い!
勉強へのフォローも必要だし(優秀なお子様をお持ちの親御さんは必要ないであろう。汗)習い事への送迎も必要。
段々難しくなってくる精神面に対してのフォローも必要。
「少し手は離れたけれどまだまだ全て子供任せというわけにもいかない」という中途半端で意外と大変な時期ですが、それでも乳幼児時代に比べれば少し子育ても一段落、という感じでしょうか。
今までは家事に育児に忙しかったのであまり深く考えませんでしたが、一段落してみるとつくづく巷に溢れる「3歳までは〇〇」という説が全く根拠の無いものだったな、と思います。
まだまだ現役で育児真っ只中の私ですが、10年育児をしてみてあてにならなかった都市伝説?を綴ってみようと思います。
3歳までは母親の元にいるのがいい
科学的根拠があるのか全く不明ですが、なぜか昔から日本で言われている「3歳児神話」というのがコレ。
保育園に子供を預けて仕事復帰をしようとするお母さんを苦しめる一言ですな。
東京だと共働きが当たり前なので、小学校には保育園出身の子もいれば幼稚園出身の子もいたり、様々です。
我が子は公立の小学校に通っているので、学校には色んなタイプの子がいます。
先生が声をかけなくても自分で考えて行動できる子もいれば、注意しても一回では言うことを聞けないちょっとヤンチャな子も...。
けれど私が知っている限りお母さんの職業と子供の性格には全く相関性が無いと思います。
確かに幼少期に子供が大人から無条件に愛されて大事にされる記憶はとっても大事だと思います。
それが自己肯定感につながっていくと思います。
<あわせて読みたい>
子供の未来の幸せのために親ができること。自己肯定感を高める育児をしよう!
けれどその愛情をかける大人が「100%母親」である必要は無いと私は思います。
母親以外にもお父さん、祖父母、保育園の先生方、地域の人など全て合わせて100%の愛で子供を包み込んであげれば良いのではないでしょうか。
逆に私の母は専業主婦でしたが、正直娘の私の方が「お母さんも働けばいいのに」と思っていました(^^;
専業主婦の母は時間に余裕があるためか、子供に干渉し過ぎるところがあったんですよね。
思春期の頃に母親への苦手意識が付いてしまったために未だに母のことが苦手です。
そんなときに「母と娘」の関係を書いたこの本を読んで、意外と実母との距離感に悩む女性が多いことに気づいてホッとしました。
<あわせて読みたい>
啼かない鳥は空に溺れる 唯川 恵
政治家の小泉進次郎さんも、お父様が忙しくても時間を作ってキャッチボールをしてくれたことをよく覚えていると言っていました。
親子の時間で大事なのは単純に時間だけではなく、適度な距離と密度なのかもしれませんね(^^)/
子供は3歳までに一生分の親孝行をする
どのような意図があってこの発言が生まれたのか謎です。
「この子供の可愛らしさは今しかないのだから今を大事にせよ」という意味なのでしょうか?
そんなこと言ったら5歳だろうが10歳だろうが、いくつになろうが「今」は1回きりだと思うのですが...。
もちろん赤ちゃん時代のムチムチした体やプクプクしたほっぺを触ったり、眺めたりする時間は最高に幸せでした。
ですが小学生になって子供自身が自分の考えや意思を言葉で表現できるようになった今、親子でのお出かけが一層楽しくなりました。
乳幼児時代は親なりに子供が喜ぶと思って連れ出したのに、子供は大して喜ばず、むしろ「飽きた」「疲れた」と騒がれただけだった、という経験けっこうありましたから(^_^;)
子供と一緒に勉強して新しい知識を得たり、忘れていた知識を呼び戻すのも楽しいです。
もちろん、乳幼児時代には無かった「反抗期」が始まりつつある今、子供の「ああ言えばこう言う」の切り替えしにイライラすることも増えましたが、今には今の子育ての楽しさがあります。
我が子の育児に直接携わってもいない人に「3歳までに一生分の親孝行をする」と言われるのは余計なお世話。
まるで「貴重な時間なんだから100%育児に専念しろ」と価値観を押し付けられている気分で私は嫌いな言葉です。
三つ子の魂百まで
日本古来のことわざですね。
「幼い頃にでき上った性格や考え方は一生変わらない」という意味ですが、我が子に限ってはほとんど当てはまらないな、と思っています。
もちろん「頑固」、「こだわりが強い」など、幼少期と変わらないところもあります。
なので一概に全くあてにならないわけではないけれど、我が子の場合は小学校という「社会」で随分性格が変わってきたと思っています。
幼稚園まではママにべったりで、登園渋りもしょっちゅうでした。
発表会や運動会などで人前でも堂々としている周りの子を見て、羨ましいな、うちの子もああだったらいいのに...と思っていました。
ところが、小学校低学年で我が子に転機が訪れます。
クラスメイトからの推薦で学級委員に選任。
当時の担任の先生が子供一人一人の良いところを見つけて上手に伸ばしてくれるタイプだったことも幸いですが、学級委員をしっかり務めることでクラスのみんなの信頼を集めることができ、それが自信となって我が子が自然と堂々としてきました。
今では全校朝礼の場で前に出て発表する役目に自分から手を挙げるくらい度胸のある子になってくれました。
今はインターネットにしろ本にしろ、情報だけなら簡単に手に入るので知識を詰め込むだけの勉強なら親でもできます。
同年代の友人の意見を聴く力やまとめ上げる力など、親だけでは教えられない「生きる力」を教えてくれた学校という社会に感謝です。
「幼い頃にでき上った性格や考え方は一生変わらない」という意味ですが、我が子に限ってはほとんど当てはまらないな、と思っています。
もちろん「頑固」、「こだわりが強い」など、幼少期と変わらないところもあります。
なので一概に全くあてにならないわけではないけれど、我が子の場合は小学校という「社会」で随分性格が変わってきたと思っています。
幼稚園まではママにべったりで、登園渋りもしょっちゅうでした。
発表会や運動会などで人前でも堂々としている周りの子を見て、羨ましいな、うちの子もああだったらいいのに...と思っていました。
ところが、小学校低学年で我が子に転機が訪れます。
クラスメイトからの推薦で学級委員に選任。
当時の担任の先生が子供一人一人の良いところを見つけて上手に伸ばしてくれるタイプだったことも幸いですが、学級委員をしっかり務めることでクラスのみんなの信頼を集めることができ、それが自信となって我が子が自然と堂々としてきました。
今では全校朝礼の場で前に出て発表する役目に自分から手を挙げるくらい度胸のある子になってくれました。
今はインターネットにしろ本にしろ、情報だけなら簡単に手に入るので知識を詰め込むだけの勉強なら親でもできます。
同年代の友人の意見を聴く力やまとめ上げる力など、親だけでは教えられない「生きる力」を教えてくれた学校という社会に感謝です。
<まとめ>
というわけで、10年育児をしてみて気づいた点を書いてみました。
私は自分の価値観を人に押し付けるつもりは全く無いです。
ただ、今はインターネットなどで簡単に育児情報が集められるようになって便利になった反面、自分も必要以上に情報に振り回されてしまっていたな、と感じるのです。
参考にはするけれど、最後は自分の子供を信じてドーンと構えるブレない母ちゃんでいたいですね!
まだまだ育児は続きますが、全国のお母さん方頑張りましょう(^○^)
<あわせて読みたい>
アスペルガー症候群と診断された少年とその素敵な家族のお話です。
私は自分の価値観を人に押し付けるつもりは全く無いです。
ただ、今はインターネットなどで簡単に育児情報が集められるようになって便利になった反面、自分も必要以上に情報に振り回されてしまっていたな、と感じるのです。
参考にはするけれど、最後は自分の子供を信じてドーンと構えるブレない母ちゃんでいたいですね!
まだまだ育児は続きますが、全国のお母さん方頑張りましょう(^○^)
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