こんにちは、nonbiri_shufuです♪
先日色々と考えさせられる本を読みました。
宮口幸治著「ケーキの切れない非行少年たち」です。
そういえばこの本が出たときにマスコミでも紹介されていたような記憶がありますが、読もうと思いつつも忘れていました。
先日図書館で借りて読んでみましたが、教育に携わるかたには是非読んで欲しいと思いました。
何もしなくても進級できてしまう日本の義務教育は逆に危険!?
この本で紹介されていた犯罪を犯した少年・少女はいずれも知能が低いという「障害」がったとか。
日本の義務教育は登校拒否で1日も学校に行かなくても、テストで低い点数を取り続けようと進級できてしまいます。
アメリカの小学校は成績が悪ければ公立の学校でも「留年」もするし、逆によくできる子は
「飛び級」だってします。
初め「小学生でも留年する」と聞いたときに「なんて厳しいんだ」と思ってしまいましたが、この本を読んで逆に子供に適したレベルで学ばせるアメリカのシステムの方がよっぽど子供想いだ、と思うようになりました。
申し訳ないけれど、今の学年のレベルを十分理解できていない子が上の学年に進んでより難易度の高い授業を受けてもついていけないのは当然。
理解できない→勉強が楽しくない→馬鹿にされたりしてストレスがたまる→手っ取り早く稼げる安易な犯罪に手を出してしまう
という悪循環に陥る可能性があるそうです。
もちろんテストの点数が悪い=犯罪者というわけではありません。
世の中には高学歴な人でもくだらない犯罪を犯してしまう人もいるので。
ただもし生まれつき生き辛い「障害」があるなら、早く周りが気づいてあげて適切な教育をしてあげれば本人ももっと生きやすくなり、社会の安定にもつながるのでは?と思ったのです。
学校にいる間は先生が守ってくれるけれど、卒業して社会に放り出されたら誰も助けてくれません。
例え回り道(留年)してでも、社会に出るまでに「生きる力」をつけてあげる必要があるのではないでしょうか。
必要なレベルに達していないのに義務教育だからということで自動的に新年度に進級させられるシステムでは、問題を先延ばししているだけに過ぎないと私は思ってしまいます。。。
小学校時代から「差」をつけていいと思う
個人的には小学校時代から子供同士に「差」をつけて評価すべきかと思います。
幼稚園までは「遊びが勉強」なのでみんなで楽しく遊べて入ればそれで良いと思いますが、小学生時代から社会に出るための準備として「差」を明確にする教育をした方が子供のためかと。
我が子の通知表を見ても、3段階評価なので何が秀でているんだかさっぱり分かりません。
もしかしたら何も秀でていないのかな?w
先生がなるべく子供を傷つけないようにしているのか?周りと差をつけない評価をしているので逆に我が子の「強み」が何なのかちっとも分からないのです。
勉強も運動も芸術も、すべてが良くできる完璧な子なんてなかなかいないのだから(たまに出木杉くんのようなオールマイティーな子もいるけどw)算数ならこの子!運動ならこの子!工作ならこの子!とそれぞれ個性を際立たせてあげた方がその子の自信につながると思うけどな~。
小学校時代から差をつけられる環境に慣れていたら、「中一ギャップ」とやらも起こりにくいんじゃないかしら?
現代は社会でも「多様性を認める」意識が高まってきているけれど、世界で一番多様性が認められていないのは日本の学校じゃなかろうかw
そもそも差をつけたら可哀そうと思っているのは大人だけ?
通知表であまり差をつけないよう、生徒を平準化することを決めているのは文部科学省?教育委員会?学校??
そもそも大人が「差をつけたら子供が傷ついてやる気が削がれる」と思っているなら余計なお世話かと思います。
それってシングルマザーの子や一人っ子の子を周りが勝手に「可哀そう」て言うのと同じことかと。
大人が一方的に決めたルールに従って生きてきた子供が社会に出てから苦労することになったらそっちの方がよっぽど「可哀そう」です。
<まとめ>
昔よりも発達障害などに理解がある社会になってきたけれど、まだまだ日本の教育に改善の余地はあると思う。
日本の学校の良さも活かしつつ、自己肯定感の高い子供たちを世に送り出して欲しいです!
ちなみに冒頭で紹介した「ケーキの切れない非行少年たち」を書いた宮口さんは元衆議院議員で罪を犯して刑務所で服役した山本譲司氏の「獄窓記」を読んで影響を受けたのだとか。
私は山本氏がTEENS向けに分かりやすく書いた「刑務所しか居場所がない人たち」を読みましたが、こちらも分かりやすくて勉強になりました。
犯罪は絶対に許されるものではありませんが、この本に書かれているような現実があることも知っておくべきかと思いました。
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